見ることが崩れるとき、倫理は反転する|体現帝国『石を狙え』

📍 会場:体現帝国館(名古屋・内田橋商店街)
📅 上演期間:2026年5月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)各日20:00~
✒️ 執筆:Arts & Theatre → Literacy(2025年4月執筆)


先日(2026年4月21日)、体現帝国のゲネプロを拝見した。
本番とは異なり、俳優はノーメイク、音響や照明も調整段階にある状態だったが、         その“未完成性”ゆえに見えてくるものがあった。

舞台上に現れる身体は、明らかに過剰である。
水着、露出、若々しい肉体、白塗り、刺青、そして男女の異様な接近。
それらは単なる飾りではなく、観客の視線を揺さぶる装置として機能している。

どこかで見てはいけないものを見ているような感覚。
幼い頃、「見るな」と制された記憶に触れるような、後ろめたさ。              この上演はまず、観るという行為そのものを不安定にする。

しかし俳優たちは、その身体を“性的対象”として扱ってはいない。
行為は構造の中で進行し、肉体は記号として配置されている。
実際に彼らは集中状態にあり、肉体的な反応は生じないという。

つまり揺らいでいるのは舞台ではなく、観客の側である。


舞台左、中空に石が吊られている。
だが狙われているのは石ではない。

張られた白いロープに誰かが引っかかり、転倒し、結果として石にぶつかること。
このゲームは「石を狙う」のではなく、「当たる人間」を狙っている。

タイトルと構造のあいだにあるこのズレに気づいたとき、すでに思考は滑り始めている。


次々と“失敗”する奇妙な姿をした人々・・・後ろ髪の長い水中眼鏡をつけた若い男、フリンジのついた黒の海水パンツにタトゥーだらけの男、海水パンツにサスペンダー姿の男、やたらとデカイ本をパタンパタンと閉じたり開けたりしている若い女、放漫な肉体に白いショートブーツの女、竹馬と一体化したような老人・・・。

生き延びた人々が1人、また1人と娘の周囲に集まり、観客に向かってキメポーズのような姿で静止する場面がある。それはまるでいびつな集合写真のようであり、それぞれの身体を誇示するように、どこか誇らしげでもある。本来であれば、そこには倫理的な違和感や恐怖があるはずだ。しかし私は、その場面で笑ってしまった。命が弄ばれている構図が、滑稽さへと転じた瞬間だった。

そのとき、すでに何かが取りこぼされていたのだ。


ラストでは、目に見えない“盲人”(役者は登場せず、気配が描かれる)がロープに引っかかる。 見えないものが進行していく時間。

観客はそれをただ見つめるしかない。そこには違和感を差し挟む余地がない。         やがてロープが弾け、石が落ちる。そして娘は「勝った」と宣言する。


ここで起きているのは倫理の崩壊ではない。                        むしろ、倫理がいかに容易にすり替えられるかという事実である。

観ることが揺らぎ、
考えることが滑り、
気づかぬまま判断が反転する。

この上演は、その過程そのものを露出させているのだ。


🟦 関連リンク:https://taigenteikoku.com/laboratory_20260502/

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