カテゴリ:ワークショップレポート|投稿日:2007年4月18日
【出典:SSブログ】
5月11日(金)~13日(日)に、愛知県芸術劇場小ホールでの上演(第7回愛知芸術劇場演劇祭への参加)をひかえた京都の演劇カンパニー、トリコ・Aプロデュースのワークショップに参加してきた。
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地下鉄の階段を上がり、地上に出るとやわらかな雨。八事という町の、しっとりとした雰囲気の中をワークショップ会場である「こんがりカフェ」(マクロビオティックのカフェ)へと向かう。今回のワークショップは“カフェ”で行われるという。“カフェ”と“演劇”、それに“マクロビオティック”のサンカク関係?!さてはて、どんなワークショップになるのだろうか。
イギリスの田舎町の店を思わせる、こじんまりとした可愛らしいこんがりカフェ。参加者は私を含めて5人。それぞれ好きな席に座って、集まった人同士がおしゃべりなどをして開始まで過ごす。
15:00、ワークショップ開始。
先ずは山口氏があいさつ。マクロビオティックについてのごく簡単な説明を受ける。
「マクロビオティックというのは、簡単に言えば食事法のこと。“身土不二”という“人間は土から離れて生きてはいけない”という考え方や “一物全体食”といって食材を丸ごと使い切ることなどを基本にしています。」
私はこれらの説明を聞き、次のように理解した。
・ 一部だけを用いて食するのではなく、根も葉もすべて丸ごと利用する=良いものも悪いものも、すべてをありのまま受け止め、存在の全体で世界を把握する。
・地産地消=身の丈というスケールを身につけることで“生きる”ことの実感、謙虚さなどの意味を考える。
これらは、私の個人的な見解なので正確ではないかも知れないが、山口氏のワークショップでもこれらは反映されていたように思う。マクロビオティックの説明の後は“他己紹介”。ポイントは自分の印象などは入れないで、相手から聞き出した事実だけを述べること。
①2人ずつペアになり、5分間で相手の自己紹介を聞く
②今、聞きだした相手のことを他の参加者に紹介する
こんな簡単なことだが、おもしろい発見が多くあるのに驚く。実に正確に相手のことを伝える人がいれば、おしゃべり自体は盛り上がったのに肝心な紹介になるとポッカリと事実が抜けてしまう人もいる。
「紹介されて恥ずかしがっている当人ではなく、ギャラリーは話している人だけを見ているという状況も、おもしろいですよね。」
と、山口氏。このワークショップでは内容のおもしろさもそうだが、こうした山口氏の視点のユニークさや、参加者の思ってもみない状況を組み立てていく構成力の確かさにもふれることができた。日常の暮らしの中で、他人や自分の置かれた状況を観察する新しい視点を得る興味深いきっかけになるかも知れない。
他己紹介の応用パターン。
①“恋愛”について、2人1組になって聞き出し合う。
②今、聞きだした相手の恋愛に関する情報を他の参加者に紹介する</p>
恋愛という個人的なフィールドになると、より参加者の個性が見え始める。恋愛といっても範囲は広いもの。何を相手に聞きだすか、何を話すかが話す人の個性によって変化する。
私の場合は、意外なことに恋愛苦手症候群が発覚(苦笑)。アタマが真っ白になってしまって、何を聞いていいやら何を話せばいいやら、まったく分からなかったのだ。私は山口氏とペアになったのだが、山口氏が首をかしげるほど私は恋愛について話せないようだ。他の参加者はそれぞれに、ニヤニヤしたり赤面したり、いろんな反応をしながら相手の恋愛について紹介した。
次に、参加者みんなで1つの物語(ドラマ)をつくっていく。
①先ほどの“他己紹介”で出たキーワードを使って、
・自由にドラマを展開する
・すべて前に出た言葉を否定する形でドラマを展開する
・否定と肯定をくり返しながら、ドラマを展開する
「かめださんは恋愛が苦手です。」というキーワードでドラマをつくった(苦笑)。
興味深かったのは、
・“自由パターン”では参加者がやさしい心の持ち主だったためか、ドラマは自然と肯定的なキーワードのみで展開したこと。
・否定パターンでは主人公(この場合かめだ)が想像もしなかった悪いヤツになったり、イイヤツになったり、ドラマが非常にイキイキしたこと。
・“肯定と否定のパターン”ではドラマが停滞して、まったく前へ進まなくなってしまったこと。
自然パターンではできるだけ相手を肯定的に語ろうとする流れが生まれる=(場を成立させるための集団の保護意識?)しかし、ドラマはありきたりになりがち。人物を否定的に語ることで、新たな世界が生まれるとは思いもしなかったので、誰かを否定的に語ったり考えたりすることがタブーだと思いこんでいた私には大きな発見だった。パターンの例を、下記に書いてみる。
Aさん:かめださんは恋愛が苦手です。
Bさん:でも、苦手意識を克服するために恋愛小説をかきはじめました。
Cさん:でも、その小説はなかなか売れませんでした。
Dさん:売れないことに腹を立てたかめださんは、小説を売るために次々と恋愛経験を重ねました。
Eさん:結局、恋も小説もままならないかめださんは、「強く生きていくぞ」と決意しました。
・・・などなど、ハチャメチャなのですが痛快である部分もあり、こそば痒い気持ちもありで、気持ちのストレッチとしては、かなりイイ汗かけたと思う。
次のワークは演劇の練習方法の1つであるという“エチュード”。2人が演じ、演じる内容は山口氏が演じる1人1人個別に伝えていく。参加者は2人に与えられる指示を聞いていてもいいし、何も聞かずに(何の情報も持たずに純粋な観客として)2人のエチュードを見てもいい。与えられた指示の1つは下記の通り。
Aさん←鳴かず飛ばずの状況を打破したい女優志望の女。彼女はハリウッドへ渡り、大女優になることを目指している。今から、このカフェでハリウッドで活躍するプロデューサーと会う予定。何とか夜の食事に誘いだし、個人的な関係に持ち込んでコトを優位に運ぼうと目論んでいる。
Bさん←彼は精神科医。アメリカオタクである彼はアメリカの情報に精通してはいるが、それをひけらかすことに恥ずかしさを覚えているので、あまり人前でアメリカ情報については語りたくないと思っている。今から、会うのはクライアントの女。彼女は妄想状態が激しく、奇妙なことを口走るクセがある。医者として、とにかく6時のバスに乗せて、彼女を自宅の夫のもとへ帰すことが使命。
お互いに相手がどんな指示を受けているかは分からないので、とにかく与えられた立場で“目的”を達成するために言葉を出していく。演じるというよりも、目的のためにそこにいるという感じ。
Aさん:あ、今日はどうも♪よろしくお願いします。
Bさん:どうも。調子はどう?
Aさん:ありがとうございます!
Bさんはお忙しいのですよね?
Bさん:まあね。
Aさん:今日、実は大切なお話があって来たのです。私、ぜひBさんとぜひいっしょにお仕事がしたいのです。
Bさん:は?僕といっしょに?!
Aさん:私、Bさんといっしょにお仕事するのが夢だったんです。・・・もう、決めたことなんです。
Bさん:決めたって、君。それは魚が魚屋になりたいって言い出すようなものだよ。
Aさん:それはどういうことですか?私はBさんにとってそんな存在なんですか?
Bさん:確かに、僕にとって君は特別な存在ではないし、君みたいな人はたくさんいる。
Aさん:私、Bさんといっしょに行きたいんです!もうパスポートも取ったんです!
Bさん:パスポートって・・・どこへ行くつもりだい?
Aさん:アメリカじゃないですか。私、アメリカでBさんと仕事がしたいんです!
Bさん:確かに、アメリカは本場だけど・・・。
Aさん:私、そんなに魅力ないですか?いっしょに連れて行って下さい。
Bさん:連れて行ってと言われても・・・。君にはご主人がいらっしゃるだろう?
Aさん:離婚、するんです。もうハンコも押してもらいました。とにかく、今夜ゆっくり2人のこれからのこと、お話させて下さい。
Bさん:・・・まあ、君はかわいいし、僕としても個人的にはステキだなぁと思うんだけど。とにかく、今夜は帰ろう。ご主人も待っておられるし。ね?2人のことは明日、また話すことにしよう。
これはすべて、ライブで出たセリフの数々だ。互いに相手の状況を探りあいつつも自分の目的を達成させるために必死なのだが、まるで互いの指示を知っているのではないかと思えるほど、言葉がピタリとはまりあう瞬間があって驚いてしまう。参加者はそのズレと一致に大笑いしたり、感心したりする。私などは笑いすぎて涙が出てしまった。
ワーク終了後はマクロビオティックの食事をとりながらのフィードバック。山口氏が参加者から今日の感想を引き出しながら、マクロビのことなどを補足。劇場を環境と捕らえ、そこで演じられる作品・・ニンゲンの良い感情も悪い感情もすべて丸ごと役者と分け合って味わうことで眠ったり、閉じたりしている感情をイキイキさせようというのが今回のワークショップの第1歩だ。次のステップが5月11日(金)~13日(日)までの上演作品を見ること。最終ステップは、これらを経験した参加者の歩みになるという。
思わぬ“私は恋愛苦手症候群”であるという発見におどろきつつも、否定も肯定も丸ごと受け止める・発信してみることで世界が新しくなることを実感できた。スーパーに並ぶキレイに洗われたニンジンやゴボウ、切身のサカナ。それらが自分の感情生活にも適用されていたような思いがするのだ。“相手を否定してはいけない”“私に恋愛は不要だ”それは自分の一部でしかない。閉じられたドアの向こうに、新たな可能性と本来の自分の姿が待っているかも知れない。ドアを開けることは恐ろしい気もするが、大根を丸ごと食べておいしいと感じるように、自分のすべてを知ることは意外とおいしいものかも知れない。 現代の暮らしの中、便利さを手にしているようで、実は自分を“便利な世界に適用させるために”一部だけを取り出したり、切身にしたりしているような気がした。
■文責:Arts&Theatre→Literacy 亀田恵子
2007年4月18日(水)コンガリカフェ(名古屋・八事)にて参加
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