カテゴリ:ダンス/レビュー|投稿日:2024年1月23日
【出典:SSブログ】
Sold outになってしまって諦めていたこの公演。追加チケットを手に入れて、なんとかみることができました。敬愛する笠井叡さん、今をときめくキレッキレのダンサー5名が参加するというだけでもどうやって書こうか迷うところなのに、そこにフリーメイソンなど私の知らない世界のことが絡んでいる・・・うわーん、そんなの掘り下げないと書けないじゃーん、と絶句していましたが、このままでは膨大な学習時間を擁してこれっぽっちも進まないので(苦笑)、不完全な理解のままでも、感じたことを書いておくことにしました。
冒頭、カツンコツンと下駄履きの森山、辻本、菅原、島地、大植らが赤い番傘をさしながら客席後方ドアから(3階席からはスタート地点は見えなかったのですが)登場し、舞台へあがってきます。ワイワイガヤガヤと何やら会話しながらはじまるその立ち上がりは、西洋歌劇『魔笛』という雰囲気とは異なり、カジュアルな印象でした。この時の4人の衣装はシンプルに黒いパンツに白シャツだったように思いますが、この不思議な「和テイスト」はラストシーンでも採用されています。その際には歌舞伎役者をイメージさせるようなカラフルな衣装で、しゃべりも七五調でそれぞれ自己紹介をするというものでした。
当時、モーツァルトがオペラを通じて行ったこと(フリーメイソン内で秘密として共有されてきた人類がより善く生きていくための知見のようなものの公開)を笠井さんはさらに、組織や権威、言語から解放し、ダンスとして体現することで誰にでも享受できるように再編したのだと思います。
作品中で笠井さんはちょいちょい、宇宙的な身体論を盛り込んでいたように思います(例えば「逆さ人間」の話。人間を頭から地面に挿すと、そこから人が殖えることが出来るようになるため、人類は男女が生殖行為をする必要がなくなる・・・といったような内容のこと)。
黒いマントのような衣装にサングラスといった姿の笠井さんはザラストロという悪者の役割ですが、作品中で人類の救済の叡智を語っているのだとも思いました。ここは5人のダンサーたちが笠井さんを茶化すという演出と同じように、本来の魔笛の設定と逆のような立場をとることで、モーツァルトよりもさらに解放を推し進めるように意識しているのかな、とも思いました。
また、個人的に最も衝撃的だったのは挿入された映像。モノクロの映像で、身体の肘?のクローズアップから、ぼんやりと見えてきたのは上半身裸の老いた女性・・・これがなんと笠井さんの奥様・久子さん(!)と、寄り添うように踊る笠井さんのデュエットシーンでした。
もう、この映像から人類が殖えちゃいそうな(表現おかしいかな;)美しく忘れがたい1シーンでしたが、タミーノとパミーナ、パパゲーノとパパゲーナ、どちらのカップルでもない第3のカップルの挿入によっても、笠井さんがこの作品でめざした新たな時代の友愛・解放が示唆されたように思います。
ラストシーン近く、笠井さんが宙づりになるシーンがありました。肩口あたり?の装置をつかって、斜めに宙を舞うシーン。大植さんが笠井さんに語りかけながら、舞台を後にする・・・というような内容だったと思うのですが、彼の言葉にじーんときました(ごめんなさい、あまり覚えてません)。
公演をみることができて、本当に良かったと思います。
2024/1/8(月・祝) 15:00 開演 (14:30 開場)
KAAT 神奈川芸術劇場
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