1.もんぜんまち劇場参加作品
2.2025年1月 長野県長野市 【もんぜんまち劇場】
3.朗読・BGMなし
──────────────────────
<自己紹介>
みなさん、こんにちは。 愛知県から参りました、朗読する影・螢華と申します。 日頃は、会社員 をしながら、時々こうして朗読のような、パフォーマンスのようなことをしております。
今日は、日常生活の中で感じたり考えたことを軸にしながら、いくつかお話をする形で進めさせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
<悪者>
まずはじめに「悪者」 というお話をしようと思います。
・・・「悪者」。
私はTVのニュースや新聞雑誌などで、この世の中に犯罪者と呼ばれる人たちが存在していることは知っていました。それは他人を苦しめ、多くの人を不幸にする人たちのことです。でも、それは私の身近にはいない、と思いながら暮らしてきました。
「悪者」それは、あくまで私とは違う世界に存在するものであり、不要なものだったからです。でも、ある日私は自分が何ら相手に攻撃を加えていないのに、不条理とも思える仕打ちにあったのです。私は最初、自分の身の上に何が起こったのかが理解できず、茫然としました。なぜ自分がやってもいないことで、耳を疑うような悪い評判を立てられ、周囲から嫌悪と軽蔑のまなざしを受けることになったのか、まったくわからなかったのです。それでも私は、きっと自分に何か落ち度があったのだろうと反省をしました。削って削って、顧みるものがすっかり尽きるまで反省をしました。でも、なぜ自分が辛い状況にいるのかは、やはりわからなかったのです。
そんなある日、職場の人から私は言葉をかけられました。 「あの人、嫌な奴だよね。気にしなくていいからね。」 この時、私は初めて、自分の身に起きていることが、ある特定の人物による悪意だったと 気付いたのです。
「悪者」 が、私の世界にもいたのです。
すると、「悪者」は、他にもいることがわかりました。いろいろな場所で、幾人もの人が「悪者」 によって、苦しめられている。私は思いました。「悪者」、いらないんじゃね?「悪者」が、いるから不幸になったり苦しんだりする人たちがいる。「悪者」、消せばいいんじゃね、って。
それから私は、「悪者」、を消し始めました。初めての時は、仕事帰りの夜でした。遅くまで残業した帰り道で、周囲に人はいない。ふと気が付くと、私の少し前を「悪者」、が歩いていました。私のカバンの中には財布とスマホと文房具・・・それと園芸用のハサミが入っていました。時々、私の職場では、社員が持ち回りで花を飾ることがあり、この日は私が花を活ける当番だったのです。園芸用のハサミでうまく消せるかどうか不安もありましたが、 案外、それはあっさりと出来てしまいました。不意に後ろから一撃をくらった「悪者」は、何ともおぞましい声をあげながらその場に倒れ込みました。私はハサミを「悪者」から引き抜くと、そのまま夜道を家に急ぎました。
それからは、不思議なほど機会が巡ってきました。私は例の園芸用のハサミをいつもバッグに忍ばせるようになり、いつでも「悪者」を、消せるようにしていました。そして、機会が訪れれば消す、そんなことを繰り返してきました。でも、不思議と誰からも疑われず、捕まることもなかったのです。私は「悪者」、を消した翌朝ほど気分が落ち着くことはありませんでした。これでまた、不要なものがなくなった、これでまた安心できる世界に近づいた、と。
さてみなさん、ここまでお話を聞いて頂いて、いったいどんな人が「悪者」、なんだろうと思われたのではないでしょうか。「悪者」。 実は、私自身も「悪者」、だったようなんです。 昨日の夜遅く、仕事を終えて家に帰る途中、突然後ろから強い衝撃を受けました。振り返ると、見覚えのない人が手にハサミを持って、私を刺していました。私は地面に倒れ込みながら、『ああ、私も 悪者 だったんだ。』と思いました。 だから、今、こうしてお話をしている私は、もうこの世にはいないんです。まだかすかに残った意識の残像が、こんなお話をしているのです。だから・・・もうすぐ、ここからも消えてしまうでしょう。これで、「悪者」、完全に消せますね。
「悪者」、というお話でした。
<淘汰の総則>
次は、「淘汰の法則」というお話です。 渋谷に行った時のことです。時間帯は夕方から夜へと移り変わるころ。私は渋谷の劇場で芝居をみた帰り道で、駅へと向かっていました。渋谷駅前のスクランブル交差点は、昼間の用事を終えて帰る人と、これから街にくり出す人とが混ざり合って混雑していました。
そこへふと目に飛び込んできた異様な光景がありました。それは確かに男性なのですが、顔に化粧をしていて、からだは瘦せている。ひどく内股で、脚をみせるような恰好でした。すでにこの格好だけでも異様でしたが、私の目を奪ったのは彼の表情でした。ちょっとはにかんだようにうつむきながら「いじめて」と言っているような表情をしているのです。具体的に言えば「お願い、蹴って。」と言っている感じがしたのです。
私はこの時、生まれてはじめて見知らぬ人を心の底から思い切り蹴り飛ばしたい衝動にかられ、その直後に自分の衝動に驚きました。ほんと、危なかった(笑)。
話は少し変わるのですが、菜の花のエピソードをご紹介しようと思います。菜の花は、自分が弱ってくると、モンシロチョウが好む匂いを発するそうです。そして、その匂いに引き寄せられたモンシロチョウに卵を産み付けられ、自分を青虫に食べさせ、畑からいなくなる。そうすることによって、他の菜の花に栄養を譲り、種の保存を成立させるそうです。力の弱いものを消して、強いものを残すという、自然の法則ですね。
さて、先ほどの渋谷での出来事。実は人にも同じことが言えるのかも知れません。何かこう、弱々しい姿をまとった怪しい存在に向き合ったとき、人の中には壊してしまいたくなる衝動が発動するのかも知れません。もちろん、人間界では人を殺したりすることはありませんが、その微妙な機微をついて、衝動を引き出そうとする存在がいるようです。
都会にはいろいろな誘惑があると聞きますが・・・みなさんも、どうぞ気を付けて。
「淘汰の法則」という、お話でした。
<人を狂わせる色>
これは、「イノチグラス」という商品です。「人にはそれぞれ得意な色と不得意な色があり、自分にあった色で世界をみつめることで、本来の自分らしさを発揮できる」というコンセプトを持っています。私は昨年の年末にカウンセリングをして頂き、このオレンジ色の眼鏡をつくってもらいました。世間一般では、「色眼鏡でものを見る」ことは「偏見」を表すネガティブな意味を持ちますが、私のこのオレンジ色のイノチグラスからみる世界は、とても暖かく、気持ちが穏やかになる感じがします。 次にお話しするのは色について・・・「人の気を狂わせる色」というお話です。
色には人に対して心理的な働きをすることがわかっていますが、例えばどの色がもっとも心理的に異常をきたすかという研究もされたそうです。単色で塗られた空間に人を入れて心理状態を観察するというものですが、みなさんは何色だと思いますか?気分的に落ち込みそうな真っ黒な空間でしょうか?それとも感情が高ぶって攻撃的になる真っ赤な空間でしょうか?以外にも、答えは「真っ白な空間」だったそうです。人は何もない真っ白な空間の中に閉じ込められると、精神に異常をきたすのだそうです。
私には5歳年上の兄がいましたが、彼は私が中学生のころ、シンナーを吸っていたようです。時々、兄の部屋から鼻をつくツンとした匂いがしたり、異様な声で何か叫んでいることがあったので、きっとそうなのだと思っていました。でも、真正面から「シンナー吸ってんの?」とは聞くことも出来ず、何となく不安な日々を過ごしていました。兄は普段の笑い方も奇妙になり、前歯が抜けたりして、様子も変わっていきました。
そんなある日、放課後に同級生たちが私の家で宿題をすることになりました。みんなが玄関に集まってきてまさにドアを開けたとき、ツンと鼻をつく匂いがして焦りました。兄が2階の部屋にいる。そして叫び出しました。私はまだ異変に気付いていない友達を急いで家の外に押し出しながら、「ごめん、やっぱりNちゃんのところに変えてくれへん?」と頼み込みました。Nちゃんも他の友達もすごく機嫌が悪くなってしまいましたが、それよりも私は兄の姿をみられることが怖かったの覚えています。 シンナーでおかしくなっている時のことを兄は「部屋の壁の板をはがして小人が出てくる」と言って恐れていました。兄の部屋の床は深い緑色のカーペット。一般的に緑は安らぎや新しい可能性を象徴する色なのですが・・・兄にとっては、小人の潜む怪しげな森の色に思えていたのかも知れません。
「人を狂わせる色」というお話でした。
<擬態>
次のお話は「擬態」というお話です。 みなさん、「擬態」ということをご存じでしょうか?昆虫や植物などによくみられますが、周囲の景色に溶け込むようにからだの色を変化させたり、別の生き物のように振舞って敵から身を守る行為をさします。でも、気を付けて下さい。人の世界にも、この「擬態」に身を潜め、あなたの未来に影を落とす存在がいることを。
その目の前の存在は、いつも失敗ばかりします。やる気があるのかないのか、叱る立場のあなたは仕方なく注意をしますが、その度にその存在は素直に「すみません」と謝り、歯向かうことはありません。でも、いっこうに態度が改められることもないのです。あなたは段々と苛立ちを覚え始めます。時にはきつく言い過ぎたと後悔することもありましたが、相手はどんな時にも、ひたすらあなたに詫び、歯向かうことはありません。
そんなある日、あなたはミスを重ねてばかりいるこの存在が原因で、上司に激しい叱責を受けました。あなたは自分の指導の甘さを悔やむと同時に、自分は舐められているのではないかという強い怒りも感じ、思わず我を忘れて、その存在を罵倒しました。思いつく限りの侮蔑の言葉を投げつけました。顔を真っ赤にし、息があがるほど罵った後、あなたは独自の感覚を覚えます。それはある種の「快楽」に似ていました。そして「こいつは、私が何を言っても逆らわない。裏切らない。」とも思いました。それからあなたは自分が強くストレスを感じる度に、この存在を呼び付け、理由もなく罵倒するようになりました。
さあ、みなさん。この罵倒され続ける存在は、いったい何者だと思いますか?こんな仕打ちを受け続けたら、ふつうは成長して叱られなくなるか、心を病んで仕事を辞めてしまうのではないでしょうか。でも、この存在は一向に変わらない。おかしいなと、思いますよね。・・・そう、その感覚は正しい。
これ、実は人の未来を蝕む鬼のような存在が弱々しい姿に擬態しているのです。人の世は、誰もが公平に幸福を享受することが定めなのですが、その真逆のこともあるのです。あまり好きな言葉ではありませんが・・・因果応報というとわかりやすいでしょうか。
抵抗しない相手を自分の都合だけでいたぶり続けるのは悪業になります。この悪業は、すぐに災いとなって自分に跳ね返ってくることもあれば、何年も経ってから帰ってくることもあります。恐ろしいのは・・・戻ってくる時期が先延ばしになればなるほど、帰ってくる災禍も重いものになるということです。鬼は、それが望みなのです。なるべく長くいたぶらせ、戻す苦しみをいかに大きくするか。鬼はそれを指折り数え、ほくそ笑んでいるのです。あなたが顔を真っ赤にして怒りを爆発させる姿をみるたび、嬉しくて身震いしているのです。
・・・みなさん、気を付けて下さいね。
あなたの目の前にいる、その弱々しく無抵抗な存在は、擬態した破滅への道標(みちしるべ)かも、知れません。
<繰り返される最期>
みなさん、ありがとうございます。 次のお話がいよいよ最後になります。
今日は、ずっと後味の悪いお話ばかりだったので、次こそは明るく良いことをお話出来れば・・・と思いますが、ご期待に添えなかったら、すみません。
「繰り返される最期」というお話です。
私は朝、目が覚めると「ああ、いい人生だった。」とつぶやいてから、起き上がるのを習慣にしています。これは、自分の命が消える最期の瞬間を再現しているのです。私は時に今日のような暗く陰鬱なお話もしますが、きっと良い人生を送るのだろうと考えています。こうしてみなさんと出会い、自分を表現し、また次の日からはがんばって生きていく。だから、ステキな人生を送って死んでいくのだと思うのです。途中にいろいろあっても、最期の瞬間に「いい人生だった」ことが確定しているのですから、人生のどの瞬間を切り取っても、結果的には「ステキな人生」になると信じているのです。 毎日毎日、最期の瞬間を繰り返しながら、今日も私は思います。
「ああ、いい人生だった。」と