
目撃し、思考し、記録する。
批評を始めたばかりの頃、ある演出家にこう言われた。
「知識もないのに、批評家を名乗るのはいかがなものか」と。
では、私は何者なのか? 何を行う者なのか?たどり着いたのは、
作品(現代アート・パフォーミングアーツ)の前に立ち、鑑賞者として、
それらの現象を目撃し、思考し、記録すること。
Arts & Theatre → Literacy ――
この名称は、私の活動を示す旗印であり、信条そのものである。
💡🆕 最新レビュー
今後もレビューは随時追加していきますが、まずは最新の1本をご紹介します。
『見えない青髭公の城』体現帝国|劇場は、剥製工場である。
📍 会場:体現帝国館(名古屋・内田橋商店街)
📅 上演期間:2025年4月〜6月 毎週土曜日19:30開演
🖋 執筆:Arts & Theatre → Literacy(2025年4月執筆)
「完璧な人間を作ろうとして、108回も失敗した男がいる」。そんな噂から始まる物語は、グリム童話『青髭』の輪郭を借りながら、観客と演劇の関係性そのものへと鋭く切り込んでいく。劇場の外でいくつかの儀礼を通過した観客はようやく建物の中へと足を踏み入れるが、その先に現れるのは顔を隠され天井から吊られた紐に身体を預けて踊る少女だ。操られる者としての身体は神秘的でありながら痛ましく、それを照らす光は本作における「見る/見られる」の非対称な関係の始まりでもある。
しかし物語は、そうした視点の固定をすぐに裏切る。次第に舞台と客席の境界は崩れ、観客が立っていた場がいつの間にか「劇に組み込まれた場」であることが明らかになっていく。用意されていないと思われた“観客のための安全域=座席”を観客自身が劇中で発見するくだりは、演劇における「観るという行為」が如何に不確かで流動的かを実感させる。
作品中盤、青髭が大宴会を繰り広げて出かけてしまった後、ひとり残されたユディットは夢を見る。やがて青髭とユディットの会話は卑猥なオブジェと化した「鍵」と、チープでケバケバしい装飾を施された「穴」との会話にすり替わり、戯画化された関係性のなかに突入する。演劇とは何かを問うかのように“開演”“濡れる”“挿入”といった言葉が次々に繰り出されるこの場面は性愛を媒介としながら、観客と舞台との関係そのもの —入る者と受け入れる者— を笑いと羞恥を通して露出していく。
終盤、青髭とユディットが雨の音とともにむき出しの感情をぶつけ合う場面がある。具体的な内容は伏せたいが、演劇と現実、役と身体、物語と観客のすべてが濁流のようにせめぎ合う時間がそこにある。これは観る者の存在を前提としなければ立ち上がらない舞台だ。
私は上演時間までの時間を内田橋商店街にある小さな食堂できしめんと天ぷらの盛り合せを賞味したが、昭和の雰囲気ただようその店のレジ横に本作のポスターがドンと貼ってあった。挑発的で刺激に満ちた作品を上演する体現帝国だが、活動は地域と観客に根ざしている。なるほど、後援には内田橋商店街とある。都市の片隅、普段は通り過ぎてしまう場所が“青髭公の城”となり、観客を迎え入れる試みはとても愉快であたたかい。手渡された灯りを手にしたあなた自身の一歩が、この“見えない城”に新たな時間を生み出していくだろう。
公演は4月~6月の毎土曜日19時30分に開演する。場所は内田橋商店街・体現帝国館にて。
🟦 関連リンク:https://x.com/taigenteikoku/status/1911658100681318756?t=lVcN9qpsHZrLI57Kdp8nfw&s=19
