カテゴリ:仕事|投稿日:2024年2月6日
【出典:SSブログ】
佐藤小夜子DANCE LABORATORYに、作品レビューをご提供しました。
とっても大人のセンスが効いた小作品で、一気にレビューを書き上げてしまいました(笑)。
ご提供する形になると、ちょっと固い感じの文章になってしまいますが
ぜひ、ダンス批評というものにもふれてみて下さいねーー。
■日時:2024年2月4日(日) 15:00~
■会場:岐阜市民文化会館 大ホール
■第28回 岐阜県民文化祭 バレエとモダンダンスに親しむ文化の集い
第2部 2作品目 『Introduction』
多様な年齢、習熟度に差がある人たちが参加するダンス作品を鑑賞する際、どうしても葛藤を感じてしまうことがある。参加する人が懸命に踊っているのに、その姿に違和感を覚えることがある、という意味である。違和感の正体・・・それは、振付と踊る人の個性(技術的な習熟度なども含む)のアンマッチだと思う。または振付家が渡した動きが持つ魅力と、踊る人の持つ個々の魅力との不一致ともいえる。例えば、高く脚を振り上げる動きで空間にシャープな美しさを必要とする場面において、脚の高さは求められる位置になく、身体そのものも無理を強いられる悲鳴や、期待に添えない残念さをまとってしまう、などであろうか。これは踊る人の評価の話ではないし、もっと言えば踊る人のモチベーション(踊る人も充分に楽しく、その世界観の中で満足している状態)と切り離されることかも知れない。しかしダンス作品の魅力とは、振付と踊る人の個性が一体となって表現された時だと思う。
佐藤小夜子DANCE LABORATORYの『Introduction』を鑑賞した。冒頭、8名のダンサーたちが舞台後方で横一列に並んでいる。男性2名、女性6名。年齢は13歳から75歳いう幅の広さだという。動きは1名が前に進み出て短いフレーズを踊り、はじめに立っていた位置に戻るパターンをくり返すというシンプルなものだが、踊る人の数だけ個性が輝く。キレのある動きで全身を使って激しく踊る若い女がいるかと思えば、静かに進み出てゆったりと腕をあげるようなわずかな動きで戻っていく年齢を重ねた女性、バタリと床に伏したかと思えば匍匐前進の様相で進み出る男など、参加者の魅力が違和感なく発揮されていく。やがて進み出ては戻るというパターンはリズムを変化させ、列は無秩序に広がり、変容は加速していく。彩り豊かな喧噪がいよいよ極まりつつあるといった刹那、舞台上手にポツと、黒服の女が立っている。素顔に近い印象の女は無表情だ。観客はにぎやかに踊る人たちの垣根越しに黒服の女に気づくことになるが、その両者の間には凍てつくほどの隔たりがあるように感じた。おそらく女は喧噪の世界とは異なる時空に立っているのだろう。じわりと詰め寄るような静かな戦慄の中、女はおもむろに小走りのような動きで舞台を斜めに横切っていく。その姿は日常の喧噪の中に潜んだ死の影のようでもあり、ある死の逆再生(女が生きたであろう在りし日の記憶)であるようにも思えた。
しかし一方で、会場からは子どもたちの笑い声が聞こえてきた。女が淡々と進んでくる姿と、それぞれの参加者のにぎやかさのギャップが可笑しみを誘ったのかも知れない。死を身近に体験していないだろう子どもたちの視線から捉えれば、本作品で描かれているこの世界は、思わず笑ってしまうような奇妙な人たちの姿なのだろう。思い返せばこの作品のタイトルは『Introduction』である。導入・序章といった意味だ。横切る死の影も追憶も、どれも“はじまり”を示唆する1コマだとしたら、本作品は何よりポジティブで洒脱な大人のユーモアを仕込んだ作品ということになる。ふっと耳に聞こえてくる子どもたちの素直であたたかな笑い声を聞きながら、つられて笑ってしまった。
佐藤小夜子は本作品を「笑って泣ける大人の作品」をめざす第一歩にしたかったと語っている。“序章”という名の挑戦がはじまったのだ。今後の展開に大いに期待したい。
■文責:Arts&Theatre→Literacy 亀田恵子
2024年2月4日(日)岐阜市民会館 大ホールにて鑑賞
コメント