WSレポート

Atrs&Theatre→Literacyの活動初期は、自らワークショップに参加して、自身の身体を通して
ダンスを理解・言語化していきました。
このページでは過去のワークショップレポートを掲載いたします。

📖 目次

  1. ✅ 笠井叡ダンスワークショップレポート
    1. 📎 1日目:2006年6月3日(土)
      1. はじまりの空気
      2. 会場:アクテノンの神殿性
      3. 参加者と笠井叡先生の語り
      4. 🌀 カオスの時間:踊る私、ひっくり返る心
      5. 💨 呼吸とプレローマの練習
      6. 🪞 帰神法と鎮魂法
    2. 📎 2日目:2006年6月4日(日)
      1. I.身体〜空間〜行為の意識へ
      2. II.卵形の意識で包まれる
      3. III.止観と透明な迷宮
      4. IV.水晶のイメージの中で
    3. ✍️ まとめ:ワタシ⇆わたし、を超えて
    4. 📖 リルケの言葉
  2. 🔗 関連リンク:他のWS記録・読みもの
    1. GAGA(ピープル)参加レポート
    2. 「暑い夏」ワークショップドキュメンテーション

✅ 笠井叡ダンスワークショップレポート

📅 2006年6月3日(土)・4日(日)
📍 演劇練習館アクテノン(名古屋市中村区)

🎤 1日目:2006年6月3日(土)

はじまりの空気

名古屋の双身機関。ちょっと変わった芝居(身体表現としての演劇と言えるかな)をする組織なのですが、ここが笠井叡さんのダンスワークショップを年に1度のペースで開催してくれています。
今回は約2年ぶりの開催だったのですが、私自身は4年ぶりくらいの参加でした。
2週間前に双身機関の主催・寂光根隅的父(じゃこうねずみのパパ)から案内を頂いたときには『待ってました!』とばかりの申し込み!
ですが、最近カラダを動かしていないので『…動けるかしらん?』と不安ではありました。が…(笑)。


会場:アクテノンの神殿性

名古屋市中村区にある“演劇練習館アクテノン”が今回のワークショップ会場。
最寄り駅の中村公園駅からは徒歩15分くらいと、ちょっと遠いのですが、この施設は公共の施設で日本で唯一と言われる演劇専用の練習場です。

元給水塔を改修して作られた丸い円柱のような姿がとても美しく、ギリシャ神殿を思わせることから“アクテノン”と名付けられたという由来を持ちます。


参加者と笠井叡先生の語り

今回集まったメンバーはこの時点で18名くらい。演劇初心者、舞踏グループの方、自然食レストランのオーナー、バレエを始めたマダム、東京の学生…まさにルツボ(笑)。
先生は「俺」と語り始め、リルケの言葉や**“踊るとは何か”**を語りながら、少しずつ場を温めていきます。

「生命形態を変えちゃう踊りをやりましょう。」
「ストレッチとか、めんどうくさいのでやりません。」


🌀 カオスの時間:踊る私、ひっくり返る心

選ばれたBGMは椎啓さんのEquinox。
その音とともに先生が踊り、参加者に絡み、踊りの連鎖が一気に広がっていく

“内と外をひっくり返し、踊っているこの場を心の中だと思って踊って下さい。”

約1時間、全員でカオスの中にダイブ。アクテノンの空間が「心の中」として躍動します。

*心の中(アクテノンの練習場がこのときの心の中だと仮定して)を見つめていると、さまざまな動きがあることに気が付きました。うずくまってじっとしている者、祈りを捧げる者、小さく叫ぶ者、激しく暴れ回る者、重なり合う者、挑みあう者、恐れに立ち尽くしボウゼンとする者、一連の動きを外側から傍観する者…。これが、もし1つの心の中だとするのなら、何と心の中には同時多発的にさまざまなことが起こっているのでしょう。私たちが“自分の心はこうだ”と感じるとき、実はそれらの多くの出来事の中から、自分に都合の良い出来事を自ら選んでいるということなのではないかと直感しました。自分が自分だと信じている他に、自ら捨てた自己が多く存在するという、自己への全体認識です。

*その後はすべてを否定した感覚での動きと、すべてを肯定した感覚での動きを練習する。2つの対極を身体感覚として経験。否定は直線的な動きになり、肯定は曲線のフォルム。身体での表現は大胆くらいが適。出来る限り速くトップスピードへもっていく。時間的に短くても構わないので極限まで動く、など。


🌬️ 呼吸とプレローマの練習

  • 裏(フクラハギの裏・胸)=吸気
  • 表(ムコウズネ・背中)=呼気
  • 天と地を∞で結ぶ呼吸の軌跡
  • 「頭頂部を開く感覚」で光を取り入れる

プレローマ=天からのエネルギー。生涯使い切れない恵み。

*ギリシャ語ではプレローマ、インドの言葉でプラーナ、日本などでは気で表現されるエネルギーを取り込む呼吸法が紹介されました。(『これでエネルギーを得て、またカオスにするつもりなんだぜ、きっと!』)呼吸法というと、東洋で根を張っているというのが一般的なのですが、西洋にも伝統的に確立された呼吸法があるとのこと。

*足の裏から頭頂部に抜ける感覚で吸気。頭頂部から足の裏に抜ける感覚で呼気。ニンゲンの身体を表と裏(胎児のときの丸まった身体状況で表と裏を考えた)場合、裏はフクラハギの裏、胸。表はムコウズネ、背中。表は男性的な筋肉、裏側は女性的な筋肉で構成されている。吸気では裏を通して頭頂部へ、呼気では頭頂部から表を通す。この呼吸の動きの流れを追うと、地面と頭頂部を結んで∞(無限のマーク)を描くようになります。更に、吸気の頂点(頭頂部)に至ったときに頭を開く感覚で目も耳も明るくする意識を持つ。吐ききったところで呼気に返すが、吐きながら開いた頭頂部
の感覚をまた閉じていくようにし、次には地球の中心にまで呼気を下ろしていくように意識を持つ…と、まあ、これがプレローマを吸収する呼吸法。プレローマというのは天からのエネルギー。本来ニンゲンはこのプレローマに取り囲まれて、生涯使い切れない恵みのエネルギーの中にいるというのがこの呼吸法の根底にはあるのだそうです。ただし、頭を開きっぱなしだと、気が狂っちゃうそうなので注意が必要とか。そりゃそうです、ニンゲンは地上の生き物ですから、地に足がついていなくちゃイケマセンがな(笑)。


☯️ 帰神法と鎮魂法

  • 帰神法:天(北極)とつながり、身体を開く
  • 鎮魂法:地(南極)に根差し、身体を沈める
    この2つを往復しながら、身体の幅を広げていくワークが続きます。

    *ちなみに。先生は頭頂部を開いた感覚であらゆるものを自己へ取り込めるを状態を帰神法(北極)、閉じた状態で地球の中心=地底・冥府(南極)に意識を置く間隔で大木のように確固としたゆるぎない状態を鎮魂法と表現されていました。鎮魂法では地底に吸気の意識を置いたままの状態で息を吸うので、吸ってはいるけどもはや吸ってはいないという、ちょっと複雑な手続きが必要。身体にはこの両局がどちらも必要とのことでした。練習では、何度もこの2つの局を往復しながら異なり身体感覚を経験しました。
    身体はどこにでも存在する=偏在は頭部を開いた感覚での身体。いくつもの自己が世界中のあらゆるところの同時に存在する。インターネットが成し遂げていることは身体の模倣。 身体はどこにでも存在する=地球の中心で地球の表層に存在する偏在の自己を眺めるとき、それはその1点にあらゆる自己が集約されている。1点の中の総数自己。

🎤 2日目:2006年6月4日(日)

Ⅰ. 身体→空間→行為の意識へ

  • プリエの姿勢で呼吸
  • 空間を感じる
  • 「これから右斜め45度前に5歩」など、“行為”を明確に意識してから動く

あまねく存在する「私」…
皮膚の内外の境界をなくし、“取り囲む私”と共に踊る。

*“身体”が皮膚というものの内側だと限定しないこと。身体を隔てる皮膚を取り払う。内と外の転換。身体はあまねく存在する。普遍の私、普遍の身体。隔てのないものの中で動く“ワタシ”がそれを取り囲む“私(私たちと言えるか?)”とダンスする。“隔ての内側のワタシ”が“動く”のではなくて、“取り囲む私(たち)”によって“動かされる”ことを意識しながら動く。眠ったようにならないで、明瞭に意識を持って動くこと。
*かめだ:「私」がどこにもいて、いっしょに踊ってくれているという喜びで満たされる。不思議な感覚の経験。「私(=かめだ)」を取り囲んでいるのは「かめだ」ではなく、「私」である。手を伸ばしても、額を沈めても、そのどこへも「私」が導いてくれるという安心感。「踊れない自分という劣等感」など皆無の世界。どこにでも行ける、どんなにでも動けるという全能感と大きさの中にいる感覚。…芸術によって人が狂気にいたるのではないかという不安は、もしかしてコレか?と後になって少しく思う。コントロールが必要。持っていかれそうな麻薬に似た感覚。麻薬は天使の顔をしている?


Ⅱ. 卵形の意識で包まれる

  • 自分を包む卵形の意識(プレローマ)を感じて動く
  • 「意識の風」が身体を動かすという比喩

今までにないほど、360度に自由に動ける感覚。

*美しい例え話。「1歳になる女の子が、生まれて初めてカーテンを開けて窓の外に揺れている木を見る。女の子は木が自らの力で揺れていると思い、感動している。」私たちの認識もまだその女の子のように、窓の外に出ていない。身体は自ら動いているのではなく、意識の風によって動かされているのだ、というコメント。意識の風とは、私たちの魂とも言い換えられる。肉体が滅んで、旅立った魂は風になれはするが、どうすれば木(ニンゲンたちの身体)を揺らすことが出来るかを知らない…*私たちは生=他動と自動とを誤って認識し、死=方法を覚えずというジレンマの中にいる(かめだ解釈)。身体が動くということについて考えるべきポイントはここ。


Ⅲ. 止観と透明な迷宮

  • 「私は動いている」とさえ考えない=止観
  • 音や視覚もすべてを打ち消して、透明になる感覚

「…透明だっ!」
参加者は透明な神殿、生きた迷宮として空間に立ち現れた。

*かめだ:先生の指示に、暴れるのを止め、閉じていた目も開く。音、集中して聴く。聴くことによって消去するというのはゲシュタルト崩壊ということか?と思い、よく聴き、よく見た。…そして、驚いた。『…透明だっ!』(…これは文字で読まれると疑わしく思われると思うのですが、感覚としてホントなんです)すべてが消え去りはしなかったし、色彩も失われてはいなかったけど、確かに目にした練習場に存在しているものぜんぶが輪郭を残して透けて存在してた。以前のワークショップでの先生の言葉「神殿としての身体を取り戻すのがダンス」を思い出す。…練習場で踊っている参加者は透明な神殿。無機質の建築物ではなく、いっときとして同じ姿のない有機的な深さ・広さを持つ生きた神殿。…透明な迷宮だ、そう思って劇的に変わった景色を楽しみながら動いた。先生の次の公演タイトル「透明迷宮」、もしかして先生はみんなにこれを見せたかったのか。


Ⅳ. 水晶のイメージの中で

  • 百合、水晶の中のサソリ、水晶の胎児…
  • 頭部の開閉を使ってイメージを切り替える練習

✍️ まとめ:ワタシ=かめだ、を超えて

このワークショップは**“私”についての再定義の場**でした。

  • 「ワタシ=かめだ」ではない、「私」はもっと大きなもの
  • 限定された自我から、普遍的な形態としての存在
  • ダンスとは、自己の拡張であり、魂との接続でもある

息苦しくない「私」とともに踊れた幸福。
陸に上がった魚のように、後戻りはできない──。

*先生の稽古は一見オカルトっぽい言葉や説明で満ちていますが、とても建設的だと思いますし、親切。まず「有」を体感してから「無」を学びますし、片方だけでなく両局を必ず体感させます。ダンスのテクニックや斬新な振り付けを期待される方には期待はずれなのかも知れませんが、私にとっては心理学や哲学・概念についての臨床現場のような場ですし、ダンス作品を読み解く作業においてのイマジネーションを与えてくれる貴重な場です。他の参加者もそれぞれの必要性や好奇心で参加しているようです。目的がいろいろなんですよね。

* 「私」についての認識が変わりそうな予感を受けました。私は最近、「私」が誰なのかよく分からなくなっているんですよね。それで、「私」って何だろう、誰なんだろうって考えてる。Ⅰ‐7の練習で感じたのは「ワタシ=かめだ」はココにしかいませんが、「私」はあらゆるところに存在していて、それは決して「ワタシ=かめだ」ではありません。だって、かめだがかめだに取り囲まれていたと想像したら、あんまり嬉しくない(笑)。息苦しくて、窮屈で、むしろ喪失感さえある。それに比べてⅠ‐7の練習で感じた「私」はいっしょにいて、とにかく嬉しくて楽しくて幸せな存在だったんです。…この違いは、何なんでしょうか。

*先ほどにも出て来たユングという心理学者の考えに、「集合(普遍)的無意識」というのがあります。正確に言うと違うのかも知れませんが、かめだの直感的な認識ではⅠ‐7の「私」はそういった大いなる存在と言えそうな気がしたんです。もっとかめだ流に言い換えて良ければ「存在するすべてのものの形態」でしょうか。だから、あの「私」は“=かめだ”に限定されないし、“あなた”にも限定されない。“かめだ”であると同時に“あなた”でもあるし、すべてでもある。恐らくその形態が真実で自然なものであるが故に、私はそれに触れていてすごく幸福だと思えたんです、きっと(笑)。

*1日目の1クール目で感じたのは“心の中には同時に、いろんな「私」がいろんなことを感じている”という感覚でした。それは「=かめだ」の心の中での出来事だとも言えますが、大きく俯瞰して見れば、集合(普遍)的存在としての身体形態への、全体像認識予感だったとも思えます(言い方複雑過ぎ?(笑))。

*あらゆるものが存在する、ということに対しては「逆に何にも存在しねぇんじゃねーの?」という疑問も当然湧きあがります。それはそうかも知れません。だからこそ、今の私たちは「ワタシ」という存在だけを認識して生活しているのでしょうし。どちらを選んで認識するか、真実はそれだけの違いのような気がします。


📚 引用:リルケの言葉

光が石を照らし、石は意志を失う。光はその石の上を素通りすることが出来ない。
光は迷い戸惑いながら、その石の中にとどまる。


🔖関連リンク:他のWS記録・読みもの

ここでは、約10年間に渡って参加した『京都の暑い夏(京都国際ダンスワークショップフェスティバル)』の参加レポート・イスラエルのバットシェバ舞踊団のダンスメソッドのワークショップに参加したレポートのリンクをご紹介します。

🔗GAGA(ピープル)参加レポート

📝 「暑い夏」ワークショップドキュメンテーション

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