『Flamenconauta』| 第三の身体:小島章司が解くフラメンコのジェンダー

📍 会場:銀座ブロッサム中央会館
📅 上演日:2025年10月30日(木)
✒️執筆:Arts & Theatre → Literacy(2025年11月執筆)
  演目・出演
  PRELUDIO 前奏曲
   GRANAINA 踊り:カレン・ルーゴ/ギター:チエクロ
   LA CANA 踊り:山形志穂 鳥坂麗
   ALEGRIAS 踊り:小谷野宏司 Farolito 松田知也
   A PABLO NERUDA 朗誦・踊り:カレン・ルーゴ 小島章司
   ASTURIAS 作曲:イサーク・アルベニス/振付:井上圭子/踊り:松田知也
   TANGOS カンテ:ミゲル“エル・ラビ” ホアキン・ゴメス“エル・ドゥエンデ”
   VIDALITAS カレン・ルーゴ
   TONA Y SIGUIRIYA 踊り:小島章司

その踊りは、現実から半歩ずれた次元で起きているように見えた。小島章司が腕をすっと伸ばし、指先が空気の肌理(きめ)を撫でた瞬間、舞台の空気の密度がわずかに変わったように感じられた。そこには、力強く床を踏み鳴らすフラメンコの身体とは異なる、“別の法則で動く身体”が立ち上がっていた。

裾がスカートのような黒い衣装をまとい、そっと裾を持ち上げて脚を見せながらステップを刻む小島は、左右の歌い手から放たれる強いカンテを、決して直接的なエネルギーとして受け取ってはいなかった。声は踊り手を煽る刺激ではなく、彼の身体を通り抜ける素材となり、別の相へと変換されていく。声は一度その内部で沈静し、濾過され、光の粒子のような静かなエネルギーとなって再び舞台へ還元される。そこに見えていたのは、男性性の誇示としての強靭さでも、女性性としての優美さでもなく、声を変換し媒介する“第三の身体”であった。

その在り方には、男性性と女性性のどちらかを「選ばない」という拒否ではなく、両者の粒子を身体の内部で交わらせ続ける運動性があった。外側へエネルギーを解き放つカレン・ルーゴら若手ダンサーたちの身体性とは対照的に、小島の踊りは、声と身体が交感しながら内側へと旋回する。若手が観客に向けて身体を提示する“主張の踊り”だとすれば、小島の踊りは、声というエネルギーを媒介し、異なる次元の空気を舞台上に出現させる“現象の踊り”である。男性性/女性性という枠組みを背負って闘う必要がない身体が、そこに存在していた。

さらに印象的だったのは、朗誦の場面で白い衣装を纏った姿だ。長髪と髭を湛えた小島の容貌は、一見すると神官のような神々しさを帯びている。しかし、声を発した瞬間、その印象は静かに裏切られる。発せられた声は、意外なほど柔らかく、どこか女性性に寄った穏やかさを持っていた。白という“神性”を象徴する記号をまといながら、声はその権威を脱ぎ落とし、性の位相をずらすことで第三の存在を立ち上げていたのである。

小島章司の身体が示していたのは、男性性/女性性という属性のどちらにも回収されない“中性”ではない。むしろ、両者が混じり合い、行き来し、交差点のような身体が生成していたことだ。声を受け取り、変換し、別次元の質感へと昇華する媒介者としての踊り。その身体は、対立する概念を統合してしまうのではなく、境界線そのものを踊りの中で揺らし続ける創造性を帯びていた。

86歳の身体がそこに提示していたのは、老いでも、伝統の継承だけでもない。ジェンダーの差異さえ素材として練り込み、声の次元と身体の次元を媒介しながら踊る、未来の身体のあり方である。小島のフラメンコは、性差を越境することを目的としない。むしろ、男性性と女性性が触れ合う“生成の場”そのものを可視化していた。

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